Wellcome trustの新しいfundingと日本的研究の進め方

先週のNatureの記事でUKのWellcome trustの新しいfundingに関する記事が出ていた

Wellcome Trust makes it personal in funding revamp

The new Wellcome Trust Investigator Awards for junior faculty members, and the Senior Investigator Awards for more experienced scientists, will assess researchers and their ideas primarily through an interview process, with funding awarded for five to seven years. Researchers will still have to submit written applications, but "we don't want people to focus on the precise details of how the particular experiment will be done", says Walport.
11 November 2009, Nature 462, 145 (2009)

Wellcome trustの directorは

"The best way to fund science is to fund people," says Mark Walport, director of the Wellcome Trust.

なんて事も言っていて、要はあまりにも細かい事を申請書に書くためにserendipityが阻害される可能性を憂慮されるので、非常に優秀な人に限り人ベースでfundingしようと言う事だ。と言うのも、海外の研究費の申請書は日本の申請書と違い、実験方法などをかなり具体的なレベルまで書かなければならない。自分では書いた事は無いが、NIHのグラントなどはほぼ論文が書けるぐらいのプレリミデータを持って申請書を書き、ようやくお金が当たるなんて話を聞いた事がある。で、このWellcome trustのグラントはUSにおけるHHMI(Howard Hughes Medical Institute)のグラントのような形式で、projectに対してでなく、researcherに対してfundingをつける形をとるらしい。


じゃあ日本でもこんなグラントが必要かと言うと、そういう事では無いと思う。日本の研究費の申請書では、海外のfundingのように細かい方法論的な事を記載する必要がなく、かなり人ベースでお金が当たっているのではないだろうか。逆にこちらで日本式の書き方をしたら、絶対に研究費は取れないのであろう。自分の海外学振の申請書でボスの推薦状を書いてもらう時に、どんなproposalを書いたのか説明しろと言われて説明したところ、そんな書き方じゃ絶対にお金が当たらないと言われた(結果は当たった訳なんだが)。


この申請書の書き方の違いと言うのは、単に書き方だけの問題かと言うと研究の進め方の違いとしても現れていると思う。こっちに来て、最初に驚いたのは非常にhypothesis-drivenに研究を進める点だ。実験を始める前のproject presentationの段階で仮説はX、方法はY、結果がAならOK、結果がBなら却下とかなりsolidな所まで議論を詰めてから実験を開始する。日本で研究をやっていた頃は「この辺を掘ってみたら面白そうだ」という感覚でプロジェクトを開始し、データを積んで行く感じになる事が多かった(molecularは特にその傾向が強いのではないだろうか)。


で、日本的と西欧的な進め方の長所短所を挙げてみると

西欧的長所

  • straight forwardでかつlogicalな為、無駄が少ない

西欧的短所

  • hypothesis-drivenであるが故に、大切なfindingが見落とされる事もある(それでもちゃんと見つける人もいる)


日本的長所

  • 当初の計画では全く考えなかった面白いものが見つかる事がある

日本的短所

  • いつまで経っても結論にたどり着かない無駄な実験ばかりになる(さっと結論まで行く人もいる)


で、結論としては、「両方の良いところ取り」だと思う。
日本的過ぎるといつまで経っても無駄な事をする可能性もあるし、かと言ってhypothesis-driven過ぎるとdataが示している事を見逃しがちになってしまったり、(iPSやMASの田中耕一氏のような)発見的な研究と言うのが生まれにくくなる危険もある。これを書いている途中、院生時代の師匠が日本の研究は発見的な研究が多いと言う事を言っておられたのを思い出した。やはり、日本的研究の進め方と言うのは発見には強いが一般な戦略としてあまりefficientでは無いのだろう。実験開始時点での仮説を詰める事にもう少し力を割くべきなんだろう。